『闘病記ブログ』2018年1月から

2018年1月1日

発病当時、リンパ節転移した尿管がんの生存予後について調べたところ、5年生存率のデータは見つからなかった。つい最近遠隔転移の尿管がんは2年生存率10%以下という厳しい数字を見つけた。ステージ4の尿管がんで私の生存は珍しいと泌尿器科医師の間で話題になっている。先月受けた定期的な尿細胞診と膀胱エコー検査では異常なかったが、尿管がんの人は膀胱に50%以上の高い確率で再発する。このまま済むはずはない。

 

2018年1月16日

新年早々悪いニュースが入ってきた。私と同じ民間病院の創業者、一昨年の9月、彼の病院に見舞った時、自分はゲルソン食療法により、がんの住みにくい体質に改善していると話した。しかし、彼は、アメリカにおける、ゲルソン食を否定するアンドリュービッカーズの数行のレポート、「代替医療はもはや未証明と批判されるのではなく、無効だと反証済みの医療だと非難されるべきだ」を引用し、私のアドバイスに否定的な反応をした。私は、急いでまとめた自分の闘病ブログを持参していたが、渡さずに帰った。9か月後、彼は脳転移を起こしていた。

 

2018年1月22日

あしかけ8年、通い続けた画像センターでPET検査を受けた。今回で9回目ですと言われ、そんなになるのかと驚いた。結果は異常なく、次の検査は1年先で十分と言われた。ただ、PET検査では膀胱への再発はわからない。

 

2018年2月

電話が鳴ることはめったにない。その珍しい電話が鳴った。元広島大学長のH先生からだった。

あなたの闘病記を読んだ。109ページにほっとけの歌の作曲公募とあったので、早速作ってみた。これから歌うからと、86歳になられる現役テノール歌手は、朗々と歌って下さった。あまりに嬉しく、東広島の友人Yと6年ぶりに広島を訪ねた。3人でフグ料理を食べながら、いつもながらの先生のご高説を拝聴した。

 


2018年2月

今朝もいつもながらのニンジンジュースと手作り朝食

オートミール、野菜・昆布スープ

ししゃも、熱帯ハウスで育てたバナナ、宮古島アロエベラジュース

 

 

今日は水曜日、来客の多いこと。なかでも長年の遊び友達が余命1年の肺がんになったと訪ねてきた。化学療法3クールを受けていると言う。今、肺がん治療は大きく変貌し、昔の余命の基準は合わなくなっているから1年以内なんてことはないと思っている。そのうち本人も気付くはずだ。

 

2018年3月

元気だった友人から突然手紙をもらった。私の驚きは言葉にできない。

『 この数日はひゃっと、暖かい日が訪れてきたようで、春の兆しを感じています。

お聞き及びと思いますが、少し早く退職し、郷里の福岡に転居いたしました。

今年2月中旬、体動時に動悸を感じ病院を受診、胸部CTを撮ったところ、右肺に胸水が貯留していると言われました。入院し、CT検査を受けたところ、胸膜播種を伴うステージ4の肺がんと告知されました。動悸程度で、他に何の自覚症状がないままの一気にステージ4の告知を受け、青天の霹靂、もう頭が真っ白になり、とりあえず親戚の多い福岡で治療を受けるべく、急ぎ帰郷いたしました。先生にはご挨拶もせず大変失礼したことをお詫びいたします。

先生の書かれた、進行がんステージ4でも怖くないを、昨日一気に読ませていただきました。2010年からの闘病の詳細を知り、これまでの治療法の選択に対して葛藤されたご様子や科学的根拠と探求心に基づいた食事療法や日常生活上の精神状態の重要性など、とても参考になりました。

私は、九州がんセンターで治療を受けることにいたしました。私の生検の組織所見からは、保険で現在認可されている免疫チェックポイント阻害剤は使用できないと言われ、検討中の治験に入れるかの検査待ちの状態です。私は進行がんの説明を受けて戸惑うことばかりです。先生の本に出てくるM先生に、昨日、藁をもつかむ思いで直接電話いたしました。とても詳しく説明していただき、肺がん治療の化学療法、薬物療法の日本の現状のみならず、世界の先端の治療はここまで来ているという状況を一気に説明していただき、大変心強く感じました。大田先生にも、今後の闘病中にご質問などさせていただきたいと思っております。よろしくお願いいたします。

 

 

2018年4月

尿細胞診異常なし、膀胱エコー検査異常なし、この度も膀胱内視鏡検査は見送りとなった。

膀胱がんは膵臓がんと並んで最も発見しにくい癌だからである。決め手になる腫瘍マーカーはない。尿細胞診は診断率が低いから当てにならない。膀胱鏡で見るしかないのだ。

 

 

 

2018年5月 真夏対策

がんを抱えた高齢者は夏に体調を崩す人が多い。冬、私は寒風の中、粉雪が舞っていても歩いて通勤できるが、真夏は傘を差しても猛暑の中を歩くのはきつい。一昨年も、昨年も、夏の暑さ対策には苦労した。縁あって大山山麓にある築20年ホンカのログハウスを940万円で手に入れた。

 

2018年5月

 お借りした畑にハウスを建て2年目になる。ゴールデンウィークは、マイハウスの手入れをした。コーヒー、アテモヤ、バナナ、マンゴー、パパイヤ、ピタンガ、アセロラ、アボカドを育てている。今はイチゴ。孫や知り合いの人たちが採りに来ても、毎日毎日食べれないほどなる。マクワウリ、スイカ、トマト、トウモロコシなど、ぐんぐんと成長していく姿は見て楽し、育てて楽し、食して最高。この世の憂さを忘れる遊びは免疫力を高める。死ぬときは死ぬ、腹決めてがん患者は大いに遊ぶべきだ。

 

越冬したバナナ

マンゴー


2018年5月

最悪のニュースがやってきた。大学卒業後すぐから私のもとで研修し、27年間共に働いてくれた大切な後輩の脳外科医が闘病わずか1年、61歳、膵臓がんで急逝した。オプジーボまで試したようだが、残念としか言いようがない。

 

・5年前私が余命告知を受けた時、近くの彼の自宅を訪ねた。この時点で彼の体調はおかしいと思った。この時彼に出した手紙。

『昨日はお休みのところを突然お邪魔しました。私は2週間前に多発転移が分かり余命宣告を受けたので、君には是非会っておきたかったのです。私は病を患っていますが、自然の摂理と受け止めています。検査結果から先月厳しい余命1年の宣告を受けましたので、自分が挨拶をしたいと思う友人を訪ねています。訪ねる相手の気持ちはわかりませんが、自分の気持ちに正直にありたいと思っています。君は私の人生で出会いを得た稀有な逸材です。後輩であることを誇りに思っています。立場上やむを得ず判断を動かすことはありました。しかし、君に対する私の気持ちは昔も今も動いたことはありません。ただ一つ気にしていることは君の健康です。私の年齢以上に元気で長生きしてほしいと願っています。 2013年9月2日 大田浩右 』

 

・2年前、地方会で会った。これはおかしいと気付き急いで出した葉書。この時彼はまだ発病に気付いていない。

『私は年並に半日だけ20人ほど診ています。君のクリニックは繁盛しているようで安心しています。その一方で、以前会った時から君は働き過ぎではないかと心配しています。なんといっても健康が第一ですから、くれぐれも無理をしないように頼みます。私がいらぬ心配をしても仕方ないのですが、やつれた君を心配していることだけ伝えておきます。 

2016年11月30日 大田浩右 』

 

彼の葬儀など慌ただしい中に、祥子の14回目の命日がやってきた。この手に余る夫、手に余る息子たちを慈愛の心で包んでくれた優しい妻。私は、全てを洗い流し清めてくれるのは時間、一方で時間ほど残酷なものはないといつも思っている。

2018年7月 膀胱への再発の予感

つい最近、排尿後便器に溜まった尿の色が少し気になりもしやと不安を感じていたが、以前から予定していた2週間弱の九州一周旅行1800kmを一人で運転した。この無謀性格は逝くまで直らない。8月には詳しい検査を受けようと決めていた。 

 

写真は噴煙をあげる硫黄山、右の稜線が有名な韓国岳。噴煙のおかげで有名な国民宿舎はガラガラ。大浴場は貸し切りだった。


 

2018年8月

 

8月になって夜間の尿の回数が多い時は3~4回と増えてきた。再発を確信し尿路膀胱がんへの適応が承認されたキイトルーダの勉強を始めた。

 

興味のある方はこちら ⇒『抗免疫チェックポイント抗体療法は膀胱がん患者の膀胱温存につながるか?』

 

アイスクリームバナナを収穫した。なんと17㎏あった。有機ぼかし肥料だけ。万田酵素が効いたのかもしれない。味は島バナナに比べやや淡白だった。


2018年9月

仕事の合間にハウスの農作業を楽しんでいると癌のことはすっかり忘れてしまう。ところがどっこい、相手は私を忘れてくれない。主治医はいつものエコー検査で異常ないと言うが、先週出した尿の細胞診でクラスⅢの返事が返ってきた。さっそく主治医に膀胱内視鏡検査を依頼した。

 

今日21日、親しい中国の友人から私に『放松放松してください、あまりにもストレスをかけ過ぎですよ、もっともっと放松してください』とメールが届いた。放松はファンソンと読み、リラックスの意味。『命尽きるまで疾走されると思いますがファンソンをお願いします』と結んであった。

久しぶりに大いに笑った。この癌性格変えれるものなら変えたい。

 

検査結果は再発だった

検査中の膀胱内視鏡の画像を見せてもらった。やはり予感通り、5年半前の手術あとの膀胱右側に限局した腫瘍の再発が見られた。主治医から内腸骨動脈動注療法、膀胱内視鏡手術、そしてBCG療法する旨の説明を受けた。この歳になってまた抗がん剤治療か、、腫瘍は表在がんに見えるが1年以上の時間が経っている感じの再発だった。それにしてもあれだけ用心していたのにがんこちゃんはしつこいやつ、2日程無性に腹が立った。


2018年10月

久しぶりに実家でよく勉強のできたすぐ上の姉と会った。日本が降伏した敗戦の年、私は6歳、姉は7歳、家に米はなく、カボチャと芋、そして芋のつるまで食べた。履くものもなく、裸足で走り回っていた。高校生になっても家は貧困から抜け出せず、姉は『あんたはよぅ働いた、自分で洗濯はするし、高校の頃月明かりに農薬散布をしてくれていたね。』帰り際に、何度も長生きするんよと言ってくれた。私にとって今は食べるに困らず、すべてに恵まれた不気味な世界。

 

私が期待して栽培を始めている抗がん剤作用があるバンレイシ科のアテモヤは2年目を迎え、ハウスの中で私の背丈まで育ってきた。

 

2018年10月14日 膀胱がんへの抗がん剤治療始まる

抗がん剤動注のため、50年前麻酔科医として働いていたM病院へ4泊5日で入院した。膀胱に栄養を送っている動脈へカテーテルを入れ、3種の抗がん剤を動注した。施術前、所要時間は1時間と説明を受けていたが、お尻の筋肉にいく殿動脈1本のコイル塞栓と抗がん剤をゆっくり動注する30分×左右の時間を入れて、3時間硬いレントゲン台の上に寝ていた。次第に腰痛が増してきた。術後さらに3時間下肢を動かないよう拘束され、結局6時間不動性腰痛に苦しめられた。しみじみ楽な治療はないものだと思う。しかし、施術後の吐気は思ったよりも軽く、食欲もなんとか保たれた。シスプラチンなど白金製剤による吐気止めのセロトニン₂a拮抗剤カイトリル内服は効果ありと思っている。 

 

動注1週間後にはほぼ元の生活に戻り、腰の違和感と夜間の頻尿が消失するなど動注の効果を実感した。2週間後には大山の添谷から伯耆町溝口駅までの山道をグーグルマップを頼りに10km歩いた。なんと53年前、祥子と新婚旅行で乗ったと同じような列車がチンチンと鳴る踏切前を通過していくではないか、田舎は変わっていないなぁと驚いた。写真を撮る暇がなかったのは残念。

 

 

2018年11月

まさかの傘寿を迎えることができた。負け惜しみに聞こえるかもしれないが、癌と共存したこの5年間は随分と濃縮し、とても有意義な時間だった。念願だった『不定愁訴の治療革命 脳過敏症』の日本語版と英語版、『腎移植の夜明け』を出版し国会図書館と各大学に寄贈した。

 

2018年11月

誕生日のお祝いを終え、2回目の動注療法のためM病院へ入院した。スタッフとも顔見知り、三男が手術の立ち合いに来てくれ、家族の存在が証明された(笑)。

昨日の2回目の動注の際、造影膀胱動脈撮影の画像を見せてもらった。腫瘍に行く新生血管は残念ながらまだ元気であった。

2回目の動注療法を終え、腰の不快感は完全に消失した。排便時の不快感も消失し体調はますますよくなった。私はがん毒素が減ってきたことを実感している。

 

2018年12月

12月10日、3回目の抗がん剤動注療法を無事終えた。

体調は良いので最近の「シカゴだより」をまとめてみた。

中村先生:『キートルーダは進行膀胱がんの42%の人からがんを完全に消失させる高い有効性を持っている。日本でも使われ出したことはいいことだ。日本が中国、台湾、韓国よりもがん治療後進国と言われる理由は最新のネオアンチゲン療法、CAR-T細胞療法の遅れである。周回遅れどころではなく、信じがたいほどの遅れだ。日本は完全に取り残されつつある。アジアのがん患者が日本に治療を受けに来るなど時代錯誤も甚だしい。日本のがん患者が中国に治療を受けに行く日は意外に早くやってくる』と中村先生は警鐘を鳴らしている。

ネオアンチゲン療法とは ⇒自分のがん細胞にしか存在しない目印(がん抗原)のことをネオアンチゲンと言う。この目印を標的にリンパ球にがんを攻撃させる治療は日本では数少ないけれども福岡や東京で始まっている。

CAR-T細胞療法とは ⇒がん細胞の目印ネオアンチゲンに特異的に反応するリンパ球(T細胞)を探し出し遺伝子操作を行い遺伝子改変T細胞を人工的に作って患者の体に戻す治療。